東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)4052号 判決 1960年3月25日
申請人 水谷誠一
被申請人 学校法人日本橋女学館
主文
申請人が、被申請人の設置する高等学校の教諭たる地位を有することを仮に定める。
被申請人は申請人に対し、昭和三三年五月一日から本案判決確定に至るまでの間、毎月二一日に金二万二千円を仮に支払うべし。
申請費用は、被申請人の負担とする。
(注、無保証)
事実
申請人代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求め、その申請の原因、ならびに被申請人の主張に対する反論として、次のとおり述べた。
一、申請人は、被申請人の設置する日本橋女学館高等学校(以下本校という。)の教諭であるが、被申請人から昭和三三年四月三〇日かぎり解雇したとしてその処遇を停止させるに至つた。しかしながら申請人は、被申請人からかつて解雇の意思表示を受けたことはない。もしかりに被申請人から申請人に対し解雇の意思表示がなされたことがあるとしても、後述のような理由によりその意思表示は無効である。
二、被申請人が申請人に対して解雇の意思表示をしたとしても、それは、申請人が労働組合を結成しようとし、あるいは正当な組合活動をしたことを理由にしたものであつて、いわゆる不当労働行為にあたり、公序良俗に反する無効のものである。すなわち
(一)、申請人は本校に就職してから、その教職員の勤務条件の向上改善に努力していたが、昭和三二年四月頃、本校の大久保友由教諭ら数名と会合し、教職員の団結をはかるため「ひばり会」と称する労働組合を結成することに決めた。そして後述のようにその後結成された「ひばり会」は、その名前に「労働組合」の文字を使つていないけれども、会員の総意を結集し、団結の力で教育の民主化と発展に努めるとともに、会員の社会的、経済的地位を高め、その利益を守ることを目的とする本校教職員の団体であるから、その実質はあくまでも労働組合である。申請人は、この「ひばり会」結成の推進力となつて、規約作成その他設立の準備に積極的に活動し、設立の直前である同年五月二一日には、他の「ひばり会」設立準備委員とともに、(イ)、教職員の解雇については慎重を期し、従前のように一方的解雇が行われることのないようにすること、(ロ)、教職員の人権を尊重すること、(ハ)、合理的な給与規定をつくること、などの項目を含む要望書を作成して本校校長武見五作(以下校長という。)に交渉するなど、活溌な行動をとつた。
(二)、同年五月二二日、本校の教職員三二名により労働組合である「ひばり会」が結成されるや、申請人は、大久保友由、奥野翠教諭らとともに幹事に選挙され、「ひばり会」の運営ならびに活動に、積極的に参加した。また同年一一月二九日、申請人ら「ひばり会」の幹事は、「ひばり会」の決定にもとずき、(イ)教職員の給与を公立学校なみに引上げること、(ロ)定期昇給基準を改善すべきこと、などの項目を含む要望書を作成して校長に提出し、その実現のための交渉を重ねるなど、教職員の勤務条件を改善するため活溌な組合活動を行つた。
(三)、ところが昭和三三年三月一〇日頃になり、被申請人は、申請人ら「ひばり会」の中心人物を本校から排斥することにより同会の実質的活動を停止させ、あるいは同会を解散させうると判断して、その意図のもとに、代表幹事であつた申請人、および幹事であつた大久保友由教諭に自発的退職を要望し、もしこれに応じない場合には適宜の処置をとる旨言明するに至つた。けれども申請人は、この要望にも応じないで、引きつづき活溌な組合活動を行つていた。ところでかように被申請人よりの退職勧告を拒否した申請人に対して被申請人から右勧告に合わせて解雇の意思表示がなされたものであるとしても、この解雇の意思表示は、まさしく労働組合法第七条第一号にいわゆる不当労働行為にあたるから、公序良俗に反して無効である。
三、かりに右「ひばり会」が労働組合でなく、あるいは被申請人が「ひばり会」を労働組合であると認識していなかつたため、申請人を解雇する意思表示がいわゆる不当労働行為として無効にならないとしても、被申請人のした本件解雇の意思表示は、申請人が本校のなかに、校長ら管理者を含まない教職員の社交的、教育的団体を組織し、活動したことを被申請人がこころよく思わず、事実無根の非行事実をあげて解雇にあたいするものとして解雇し、申請人を路頭に迷わそうとする意図をもつて行つたものであるから、明らかに解雇権を濫用するものであつて、無効である。
四、これを要するに、申請人は引きつづき本校の教諭たる地位をもつているものといわなければならない。
また申請人は、毎月二一日に金二万二千円の給料の支払を被申請人から受けていたのであるが、被申請人は申請人に対する昭和三三年五月一日以降の給料の支払をしなくなつた。けれども、右のように申請人は本校の教諭たる地位をもつているのにかかわらず、被申請人から就労を拒まれているのであるから、その後も引きつづき給料の支払を受けるべき権利がある。
五、申請人は本校の教諭としての給料だけが収入源であつて、妻と子供一人の生活であり、現在妻が高等学校の教員をしているため一月約二万一千円の収入があるけれども、申請人の負債が約二十四万円にのぼり、これを毎月八千円づつ分割弁済中であるほか、生活費の支出が多いので、被申請人から給料の支払を受けないと、とうてい生活を維持して行くことができない。また、「ひばり会」規約によると、同会は被申請人の設置する学校の教職員をもつて組織することになつているので、申請人が本校の教諭として取扱われないと「ひばり会」のための活動ができず、労働者の基本的権利を全うすることができないのである。申請人は被申請人に対し、本校の教諭たる地位を有することの確認、ならびに未払給料の支払を求めるため、本案訴訟をおこすことにしているが、右のような事情から、その判決が確定するまでとても待つことができない状態にあるので、その間、本校の教諭たる地位にあることを仮に定め、未払給料を仮に支払うことを求める必要がある。
六、被申請人が申請人を解雇した理由として主張する事実に対しては、次のとおり反論する。
(1) 本校では、生徒が飲酒、喫煙することはもとより、通学の途中喫茶店や映画館などに立寄ることが厳禁されていること、もしそのようなことがあつたときは、その生徒は処分されるのが通例であつたこと、昭和三二年一二月二〇日、申請人の担任学級である一年一組の生徒A(満一五才)ほか三名が、国電御徒町駅附近の喫茶店に入つたこと、および申請人がそのことを知りつつすぐ校長に報告せず、約四カ月後の成績会議の際にはじめて報告したことはいずれもこれを認めるが、その余の事実はすべて否認する。
申請人が右の件を校長にすぐ報告しなかつたのは、次のような理由による。すなわち、本校でこの種行為が発見され、職員会に報告されると、その生徒は処分されるのが通例であつて、喫茶店に入つたことで一週間の停学処分を受けた例もあるくらいである。けれども非行の態様や、生徒の性格、環境などを考えると、必ずしも処分することだけが教育的措置とはならない。
申請人は、Aの場合、職員会でとりあげて制裁を加えることがかえつて同女の反社会的性格を強めるおそれのあることを考え、前にも同女の補導について相談したことのある深川警察署少年係青島某の意見を聞いたうえ、同女の将来を考えて職員会の公式の問題とすることをあえて差しひかえ、申請人の責任で同女の家庭と密接に連絡をとりながら同女の行動をみまもり、その性格と環境に適した特別の教育をしていたのである。この方法は、Aの性格の矯正によい結果をもたらし、家庭からも感謝されたので、学年末にひらかれた成績会議の際はじめてその経過を説明し、諒解を求めたわけである。その際校長も「なるべく早く報告してもらつた方がよかつた。」とは言つたけれども、諒承はしてくれている。校長は、教育の内容についてまで教員に指揮命令をすることはできないのであつて、申請人がAを右のような方法によつて教育、補導したことは、なんら教員としての義務に反するものではない。
(2) 本校で昭和三三年二月二五日に「懇談会」と称する全教職員の会合が行われたこと、その席上、入学応募者対策が話題となつたこと、席上申請人が大久保友由教諭らとウイスキーを飲んだことは、これを認めるが、その余の事実は否認する。けれども、この会合は、当日の勤務を午後三時頃打切つてそのあと開催された勤務外の行事であつて、教職員の懇親を深めるためのものであつた。入学応募者対策のような重要問題は、本来公式の会議である職員会の議題として論議されるべきものであるが、たまたまその時期でもあつたので、校長から懇談会の機会を利用して話題として出されたにすぎない。したがつてウイスキーも日頃酒をたしなむ数人が公然と飲んだのであつて、すこしも不謹慎な態度ではない。
(3) 同年三月七日午前中、申請人、大久保友由、近藤和子教諭が本校理科準備室で話し合いをしたこと、その際出入口に鍵をかけたことは認める。その前々日、大久保教諭ほか三名と卒業生とが料理屋でビールを飲みかわした事件があり、これは教育上の問題であるとともに大久保教諭らの身分にも関係するおそれのある問題であつたので、日ごろ「ひばり会」の中心となつていた申請人と近藤教諭とが大久保教諭から事情の説明を聞いたのであつた。理科準備室にはしばしば生徒が出入するが、その構造上、生徒が入つて来てもわからずに立聞きされるおそれがあるし、聞かれるのには適当でない話題であつたので、生徒の出入をふせぐために鍵をかけたにすぎず、なにもやましい行為ではない。
(4) 被申請人が主張する日時、場所で、大久保教諭ほか三名が卒業生とビールを飲みかわしたこと、その翌日夜申請人、大久保教諭らが校長宅を訪れたことは認めるが、その余の事実は否認する。申請人が校長宅で被申請人の主張するような言葉を述べたことはない。
(5) 被申請人主張のように落書を放置した事実は否認する。申請人は当日担任学級の教室へ行つていないので、そんな落書があつたかどうかさえ知らなかつたのである。
(6) 理科準備室の整理を生徒に手伝わせるにあたり、申請人が校長に、対価として金員を支給してほしい旨要求したこと、被申請人主張のように働いた生徒に対し一人一日二百円の割合で計六百円、五人に対し合計金三千円を支払つたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。理科準備室の整理は重労働でまる三日もかかる仕事であつたので、申請人は他の理科教師とも相談のうえ、校長に対し一人あたり一日二百円ぐらい出してもらいたいと要請し、校長の承認を得たので有志の生徒を募つたのである。ところがその後になつて校長は前言をひるがえし、「理科準備室の整理だけに金を出すのは適当でないから、別の機会にかつぽう着でも買つてやつたらどうか。」と言つて来た。そこで申請人は、働いた生徒に対し「あとでかつぽう着でも買いなさい。」といつて前記金員を渡してやつたもので、校長の指揮命令にしたがわなかつたなどといわれる理由はない。
(7) 申請人は、同僚から親しまれ、理科主任として熱心に理科教育の計画、実施にあたり、その教育業績は生徒、父兄からも高く評価され、その信頼を受けているくらいである。
このように申請人は、なんら本校の教員としての義務にも背かず、教育者としての適格を欠くような行動がないのであるから、被申請人の解雇理由とするところは全く事実無根のいいがかりにすぎない。
と述べた。(疎明省略)
被申請人代理人は、「申請人の申請を却下する。」との判決を求め、次のとおり答弁した。
一、申請人が被申請人の設置する本校の教諭であつたこと、申請人らによつて「ひばり会」という名の会が結成されたこと、申請人の給料が一月金二万二千円であり、毎月二一日に支払われていたこと、および被申請人が同年五月一日以降申請人の就労を拒み給料の支払をしていないことは、いずれもこれを認めるが、申請人が「ひばり会」のどのような役職につき、どのような活動をしたかは全く知らないし、その余の申請人主張事実はすべて否認する。
「ひばり会」は、本校教職員有志の単なる懇談会であつて、申請人の主張するような労働組合ではないのである。被申請人は、昭和三三年三月三一日申請人に対し同年四月三〇日かぎり申請人を解雇する旨の意思表示をしたのであるが、この解雇の意思表示が、いわゆる不当労働行為にあたる公序良俗違反のものであり、あるいは解雇権を濫用するものであつて、無効であるというようなことは全くない。
二、被申請人が申請人を解雇したのは、次に述べるような理由によるものである。
申請人は、本校の教員としての校則を守り、理事あるいは校長、教務主任らの指揮命令に服従すべきことはもちろん、円満な学校の運営を阻害するおそれのある行為や、同僚との協調を欠き、他の教職員に悪影響を及ぼすおそれのある行為をすべきでなく、教員としての体面を傷つけないことが要求されているのにかかわらず、その義務に背き、教育者としての適格を欠くような行動をとつた。すなわち、
(1) 本校の校則として、生徒が飲酒、喫煙をするのはもとより、通学の途中喫茶店、映画館などに立寄ることは厳禁されており、もしそのようなことがあれば担任教師はただちに校長にその旨を報告することになつており、校長は担任教師の意見を聞いて、その生徒に対し処分をするか、またはその他適当な措置を講ずることになつている。ところが申請人は、昭和三二年一二月二〇日その担任学級である一年一組の生徒A(満一五才)ほか三名が国電御徒町駅附近の喫茶店に入り飲食したこと、およびAが日ごろ喫煙する悪癖のあることを知りながらそのことをかくして校長に報告せず、なんら矯正の手段もとらずに過していたが、そのことを他の教員に知られて、やむを得ず約四カ月後の学年末成績会議の際に報告するというしまつだつた。これは本校の校則を守らず円満な学校の運営を阻害するもので、教員としての義務に背くものである。
(2) 本校では昭和三三年二月二五日に全教職員の懇談会が開かれ、そこで入学応募者対策などの重要問題が真剣に討議されたが、その席上、申請人は大久保友由教諭らとひそかにウイスキーを飲み、まことに不謹慎な態度であつた。そのため他の教職員らも真面目に審議討論する誠意をそがれてしまつた。これは教員としての体面を傷つけ、他の教職員に悪影響を及ぼすおそれのある行為である。
(3) 同年三月七日、全生徒が在校する平常授業日であるのにかかわらず、申請人、大久保、中田、柳教諭らは、近藤和子教諭を午前一〇時過ぎ頃より同一一時半頃までの約一時間半にわたり本校理科準備室に連れ込み、出入口に鍵をかけて、他の女教師らが心配のあまり騒ぎ出すまでの間、何ごとか話し合いをしていた。このような不明朗な行動は、たとい話し合いの内容がどのようなことであつたにしろ教員としてあるまじき不謹慎、不穏当のことであり、校則秩序を乱すことにもなるので学校管理上許されないのである。
(4) 同年三月五日卒業式の当日、大久保友由教諭ほか三名が本校の新卒業生五一名と料理屋でビールを飲みかわしたことがあつたが、これが保護者会で問題となり、そのことにつき翌三月六日夜、申請人および大久保教諭らが校長宅を訪れた。その席上で申請人は、「自分は途中で帰宅したが、もしおわりまで居れば自分も大久保教諭らと行動をともにしたであろう。」と述べて、大久保教諭らの責むべき行動をかえつて支持、援護する態度に出た。これは教員たる本旨をわきまえぬ不心得な態度である。
(5) 同年三月六日午前九時頃、申請人が本校に出勤した際、申請人担任学級の教室の黒板に大きく「先生には絶対に服従するな」などと不穏当な落書がしてあるのに気づいたにもかかわらず申請人はこれを消さず、その翌日の放課後まで放置しておいた。これも教員として許されない行為である。
(6) 同年三月一六日に行われた本校入学試験の前三日間、理科準備室の整理を生徒に手伝わせたについて、申請人は校長に対し、その対価として金員を支給してほしい旨要求した。これに対し校長は、毎年の行事でもあるからその必要がないと言つて出金することを拒否したのにもかかわらず、申請人は校長の意思に反し、校長の管理している保護者会の積立金中から外被代の名目で働いた生徒に対し一人六百円づつ、五人に対し合計金三千円を支払つた。これは校長の指揮命令にしたがわず、本校の統制と校風を乱した悪質な行為である。
(7) 申請人は、他の教職員に対しては協調性を欠き、また理科主任として理科教育の計画、実施などについて熱意が足りない。これは教員としての適格を欠くものである。
このように申請人は、本校の教員としての義務に背き、教育者としての適格を欠くような行動をとつたから、被申請人としては常任理事会を数回開き慎重審議の結果、申請人を解雇するほかはないと判断して解雇したものである。
三、したがつて被申請人がした申請人を解雇する旨の意思表示は有効であるから、申請人は昭和三三年四月三〇日の経過とともに本校の教諭たる地位を失つている。また同年五月一日以降被申請人に対し給料の支払を求める権利も当然に消滅したのである。
と述べた。(疎明省略)
理由
一、申請人が被申請人の設置する本校の教諭であつたことは当事者間に争いがないところ、被申請人が申請人に対し、昭和三三年四月三〇日かぎり解雇する旨の意思表示をしたことは、後段三の(二)において判示するとおりである。
二、申請人は、被申請人のした右解雇の意思表示はいわゆる不当労働行為にあたり無効であると主張するのに対し、被申請人は、申請人が本校教員としての義務に背き、教育者たるの適格を欠くような行為をとつたために解雇したもので、その解雇は有効であると争うので、この点について判断する。
(一)、申請人の主張する労働組合結成行為、および組合活動の有無。
申請人らによつて本校の中に「ひばり会」という名の会が結成されたことは当事者間に争いがないけれども、この「ひばり会」が申請人主張のように労働組合であるかどうかについては争いがあるので、「ひばり会」結成にいたるまでのいきさつ、および「ひばり会」結成後の同会の活動を中心としてその点について考えてみることにする。
証人大久保友由の証言により真正にできたものと認める甲第一号証の一、二、同第三号証の一、二、同第四号証、申請人本人の供述(昭和三四年二月三日尋問分)により真正にできたものと認める同第一号証の三、証人近藤和子の証言により真正にできたものと認める同第五号証、証人武見五作の証言(昭和三三年一二月一日尋問分)により真正にできたものと認める乙第五号証、同第一二号証、(但し、末尾鉛筆書部分のうち、校長の言明事項と題して記載してある部分以外の成立については争いがない。)証人大久保友由、同近藤和子、同武見五作(昭和三三年一二月一日、および昭和三四年二月三日尋問分)の各証言、申請人本人(昭和三四年二月三日、同年三月五日および同年三月一二日尋問分)ならびに被申請人代表者各尋問の結果によると、次の事実が認められる。
申請人は昭和三一年四月一日、東京教育大学人事部の推せんにより、同窓の先輩である武見五作が校長をしている本校に教諭として就職したのであるが、その際校長は、同窓のよしみもあり好意をもつて申請人を迎えたけれども、申請人が以前埼玉県教職員組合の中央執行委員などをして活動していた前歴を知り、申請人に対して「本校には創立以来独特の教育方針があり、校風は保守的であつて労働組合もない。この学校へ来たならば、今までのことは一切水に流して、中堅教員としてしつかりやつてもらいたい。」という趣旨の注意を与えた。そこで申請人は、はじめのうちは特に目につくような運動をすることは差しひかえていた。ところがその後、本校の第一教務主任であつた竹名英一郎教諭の非民主的な不明朗なやり方が他の教職員の反感を買い、教職員の間で同教諭の排撃運動がおこるに至り、それと平行して、学内の明朗化、民主化をはかり、教職員が不当に解雇されることを防ぐとともに勤務条件を少しずつ改善するために教職員が団結して労働組合を作ろうとする空気がもり上つて来た。そこで昭和三二年三、四月頃から各教科の教諭代表が一人ずつその設立準備委員となつて労働組合を結成する準備にとりかかることになり、理科主任であつた申請人も理科教員の代表としてこれに加わることになつた。ただ本校の理事者らが、教職員の労働組合ができることを必ずしもこころよく思つていない状況にあつたので、はじめから労働組合という看板を表にかかげて積極的に活動をはじめると、大きな抵抗をうけることが予想されたため、労働組合の名称を避けて、「ひばり会」と名付けることにしたが、あくまでも、本校の理事者、校長、教務主任ら管理者をのぞく教職員が団結して話し合いの場をつくり、勤務条件の改善に努力するための組織を作ることを目的とし、その規約を作成するについても、設立準備委員の一人であつた近藤和子教諭が山脇学園教職員組合の規約を取寄せて、その中の争議に関する条項をのぞくほとんどすべての条項をそのまま踏襲した。また申請人、大久保友由教諭ら「ひばり会」設立準備委員は、同年五月二一日、(イ)、教職員の人格を尊重すること、(ロ)、教職員の免職については慎重を期し、不安を与えないよう善処してもらいたいこと、(ハ)、教職員の給与につき、公平にして民主的な給与規定を定めるよう取計らわれたいこと、(ニ)、「ひばり会」の結成を認めること、などの項目を含む校長に対する要望書を作成し、これを校長に手渡して交渉し、また被申請人の代表者である理事長にもその趣旨の申し入れを行つた。
そうして同年五月二二日、「ひばり会」が結成されるに至つたのであるが、その規約において、同会は、被申請人ならびにその設置する中学校および高等学校の教職員中、学校長および理事会関係者以外の者で入会を認められたものを会員とし、会員の総意を結集して団結の力で右学校の教育の民主化と発展につとめ、あわせて会員の社会的経済的地位を高め、その利益を守ることを目的とするもので、その事業として、教育の発展、会員の共済福利、会員の社会的経済的および文化的地位の向上、その他会の目的達成に必要なことを行い、会員の醵出する会費のほか寄附金をもつて会の経費にあてるものと定められている。
「ひばり会」が結成されると、申請人は七名の幹事のうちの一人に選ばれた。
その後「ひばり会」は、同年秋頃から機関紙「ひばり会ニユース」を発行し、その紙上に教職員の勤務条件の改善に関する記事を掲載し、あるいは同年一二月五日、(イ)、教職員の給与ならびに定期昇給率を公立学校なみに改善すること、(ロ)、定期昇給を完全に実施すること、(ハ)、ベースアツプを完全に実施してもらいたいこと、などの項目を含む要望書を作成して校長に手渡し、その件について交渉するなどの活動を行つた。
以上の事実が認められる。この事実によると、「ひばり会」は名称のいかんにかかわらずその実質において労働組合であるとみるべきであるが、申請人が右に認定した範囲および程度をこえてさらに積極的に活溌に「ひばり会」のため活動したこと、ないしは申請人が「ひばり会」の設立準備委員、あるいは幹事として「ひばり会」の他の役員または会員とくらべてみて特に目立つようなめざましい活動をしたこと、被申請人が「ひばり会」を実質的に労働組合であると認識していたことについては疎明がないのである。
(二)、不当労働行為の成否。
以上判示したところによると、被申請人が申請人を解雇する意思表示をした当時、「ひばり会」を労働組合と認識していたものとは認められないところからみても、申請人が「ひばり会」の設立準備委員および幹事として行つた活動を被申請人が労働組合の結成あるいは組合活動としてきらい、これを理由として申請人に対する解雇の意思表示をしたものであるとはとうてい認められない。したがつて、被申請人のした本件解雇の意思表示がいわゆる不当労働行為にあたり、公序良俗に反する無効のものであるとする申請人の主張は、理由がない。なるほど被申請人が申請人を解雇した理由として主張するところは、後述するとおり首肯するに足りないけれども、そのために右結論が左右されるものとは解しがたい。
三、次に申請人は、被申請人のした本件解雇の意思表示は、解雇権を濫用するものであつて無効であると主張するので、この点につき判断する。
(一)、被申請人の主張する申請人解雇の理由の有無。
被申請人は、申請人が本校教員としての義務に背き、教育者たるの適格を欠くような行動をとつたことの具体的内容として、被申請人主張の七点を挙げているので、これにつき順次判断する。
(1) 本校では、生徒が飲酒、喫煙することはもとより、通学の途中喫茶店、映画館などに立寄ることが厳禁されていること、もしそのようなことがあつたときは、その生徒は処分されるのが通例となつていたこと、昭和三二年一二月二〇日、申請人の担任学級である一年一組の生徒A(満一五才)ほか三名が国電御徒町駅附近の喫茶店に入つたこと、および申請人がそのことを知りながらすぐ校長に報告せず、約四カ月後の成績会議の際にはじめて報告したことは、いずれも当事者間に争いがない。
ところで申請人本人尋問(昭和三四年二月三日、および昭和三四年三月五日尋問分)によると、申請人が右の件を校長にすぐ報告しなかつたのは、これを校長に報告するとAが処分されるおそれがあつたし、保護者からの懇願もあり、申請人も同女がすぐ処分されることにしのびず、もう少し様子を見たうえにしたいと考えて、同僚や、前にもAの補導をしたことのある深川警察署少年係青島某の意見を聞いたうえ、同女の行動を見まもりつつ補導していたのであり、この方法が同女の矯正にもある程度よい結果をもたらしたと考えたので、学年末の成績会議の際、はじめてその経過を説明し諒解を求めたところ、校長から「なるべく早く報告してもらつた方がよかつた。」と言われたけれども、それ以上強い注意は受けなかつたことが認められる。またAが日ごろ喫煙することを申請人が知つていたにもかかわらず、これをあえて校長に報告しなかつたとの点については疎明がない。
(2) 昭和三三年二月二五日、本校で「懇談会」と称する全教職員の会合が行われたこと、その席上入学応募者対策が話題となつたこと、席上申請人が大久保友由教諭らとウイスキーを飲んだことは、いずれも当事者間に争いがない。
弁論の全趣旨により真正にできたものと認める甲第七、八号証、証人大久保友由の証言によると、この会合は当日の勤務を早目に打切つてそのあと開催された勤務外の行事であつて、教職員の懇親を深めるのがその主たる目的であつたが、校長から前もつてこの席上で入学応募者対策について話し合おうということが予告されていたため、その席でこれが校長から話題としてもち出されたこと、ウイスキーは大久保友由教諭が持参して同席している教職員に注ぎまわつたもので、校長はじめ女教員など日ごろ酒を飲まない人はその時も飲まなかつたが、大岩第一教務主任、太田教諭、申請人ら教人がこれを受けて公然と飲んだものであつて、そのときには茶菓子も出ており、ウイスキーを飲んだ者があつたためその場の空気が乱れたわけでもなく、したがつて校長からその場で注意を受けるようなこともなかつたことが認められる。この認定に反する乙第五号証中の記載は採用できない。
(3) 同年三月七日午前中、申請人、大久保友由、近藤和子教諭が本校理科準備室で話し合いをしたこと、その際出入口に鍵をかけたことは、当事者間に争いがない。
前掲甲第七、八号証、証人武見五作の証言(昭和三三年一二月一日尋問分)により真正にできたものと認める乙第五号証、証人大久保友由、同近藤和子の各証言、および申請人本人尋問(昭和三四年二月三日、および同年三月五日尋問分)の結果によると、その話し合いの際には、柳、中田教諭も同席したが、話し合いの内容は、その前々日本校の卒業式後に大久保友由教諭ほか三名と本校の新卒業生とが料理屋でビールを飲みかわした事件があり(この事実は、当事者間に争いがない。)女教員の間に批判の声が高まり、この事件をめぐつて男、女教員間で意見が対立していた折から大久保教諭から相談を持ちかけられた申請人は女教員中の有力者である近藤和子教諭に事情を説明し、かつ、同教諭と意見を交換するため、たまたま当日あいていた理科準備室へ近藤教諭を呼んで来たのであるが、理科準備室にはよく生徒が出入するし、話し合いの内容が本校の不祥事件に関することでもあり、これを生徒に聞かれるのはまずいと考えた申請人が生徒の出入を防ぐために出入口に鍵をかけたこと、ところが近藤教諭が約一時間も理科準備室に呼び入れられたきりで、しかもその出入口に鍵がかかつていたので、他の女教員たちは大久保教諭や申請人らが近藤教諭を監禁してつるしあげでもしていたかのように誤解して騒ぎが大きくなつてしまつたこと、を認めることができる。
(4) 同年三月五日卒業式の当日、大久保友由教諭ほか三名が卒業生五一名と料理屋でビールを飲みかわしたこと、その翌日夜、申請人、大久保教諭らがその件に関して校長宅を訪れたことは、当事者間に争いがない。
前掲甲第八号証、および証人大久保友由、同武見五作(昭和三三年一二月一日尋問分)の各証言によれば、その夜校長宅を訪れたのは大久保教諭に対しなるべく穏便な処置をとつてもらうよう校長に嘆願するために出かけたのであつて、その席上、こもごも大久保教諭をかばう趣旨の発言があつたことが認められる。けれども申請人が「自分は当日途中で帰宅したが、もし終りまでいれば自分も大久保教諭らと行動をともにしたであろう。」と述べたという被申請人の主張にそう乙第五号証中の記載および前掲証人武見五作の証言は採用しがたい。
(5) 被申請人が主張するように、申請人が担任教室の黒板にあつた落書に気づいたにもかかわらずあえて放置したとの趣旨の乙第五号証中の記載および前掲証人武見五作の証言は、申請人本人尋問(昭和三四年三月五日尋問分)の結果に照らして採用しない。
(6) 同年三月一三日から一五日までの三日間にわたつて理科準備室の整理を生徒に手伝わせるにあたり、申請人が校長に対し、対価として金員を支給してほしい旨要求したこと、申請人が働いた生徒に対し一人一日二百円の割合で計六百円、五人に対し合計金三千円を支払つたことは、当事者間に争いがない。
申請人本人尋問(昭和三四年二月三日、および同年三月五日尋問分)の結果によると、申請人は、右のように理科準備室の整理を生徒に報酬を支給して手伝わせるについてあらかじめ校長に申し出て一たん承認を得たので、有志の生徒を募つたのであるが、その後になつて校長は前言をひるがえし、申請人に対し「生徒に現金を払うのは適当でないから、別の機会にかつぽう着でも買つてやつたらどうか。」と言つて来たため、申請人は、すでにアルバイト賃を支払うということで生徒を募集したあとでもあり、やむを得ず働いた生徒に対し「あとでかつぽう着でも買いなさい。」と言いふくめて前記金員を渡してやつたものであること、その金を支払うについては本校山賀事務長にその話をして校長保管の金員を支出してもらつたものであること、を認めることができる。この認定に反する乙第五号証中の記載は採用できない。
(7) 乙第五号証の記載中この点に関する被申請人の主張にそう趣旨の部分は抽象的にその結論を示しただけに止まるものであり、他に被申請人の主張するような理由により申請人に教員としての適格性がないことを認めるに足りる疎明はなく、さらに叙上認定にかかる諸般の事実を総合してみても、被申請人の主張するように申請人を評価するには足りない。
ところで(2)、(3)において認定した申請人の態度なり行動は、それ自体特に取立てて咎めるべきほどのものとも考えられない、また(1)、において判定したとおり申請人がAの件をその学級担任教師としてただちに校長に報告しなかつたのは、一般的、形式的にみれば本校の教員として教育の円満な運営に支障を及ぼすおそれがあるとの非難を免れないものといえなくもないけれども、それが教員としての義務に背くものかどうかは具体的事例にしたがつて判断すべきであつて、申請人が同女の将来を考えて事件を校長にすぐ報告せず、前に判示したような方法で同女を補導した本件のような場合には、ただちに申請人のとつた処置をもつて教員としての義務に背くものと言い切るのは行きすぎであると言わなければならない。さらに(6)、において説示したごとく、申請人らが校長から「生徒に現金を支払うのはよくないから、かつぽう着でも買つてやつたらどうか。」と言われたのにかかわらず、現金を支給したのは一応責められなくはないが、それも前に判示したようないきさつで、一たんは校長の承認を受けたのであるし、そのつもりで生徒を募集した手前もあり、校長から前言をひるがえされて板ばさみとなつたわけで、現金を生徒に支給する際も、「かつぽう着でも買いなさい。」ということを言いふくめて渡しているのであるから、そのいきさつを考えるならば、はじめから校長の指揮命令に従わず本校の校則を乱す意図でした行為とはとうてい認めることができないのである。
このように申請人は、なんら本校教員としての義務に背き、教育者たるの適格を欠くような行動をしていないのであるから、結局、申請人の解雇理由に関する被申請人の主張は首肯しがたいものといわなければならない。
(二)、前掲甲第七、八号証および乙第五号証、申請人本人尋問の結果(昭和三四年三月五日尋問分)により申請人主張のような文書として真正にできたものと認める甲第九号証の一、二、および真正にできたものと認める甲第一〇号証、真正にできたものであることについて争いのない甲第一一号証、証人武見五作の証言(昭和三三年一二月一日、および昭和三四年二月三日尋問分)、ならびに申請人本人(昭和三四年二月三日、および同年三月五日尋問分)と被申請人代表者各尋問の結果をてらし合せて考えると、次の事実が認められる。
被申請人の設置する中学校および高等学校の校長武見五作は、「ひばり会」が労働組合であるという認識はもつていなかつたのであるが、そういう認識とは別に、とにかく大久保教諭、申請人らが中心となつて、本校の教職員中、校長、教務主任ら幹部をのけものにして「ひばり会」を組織し、時には教職員の勤務条件の改善などの件について要望書をつくり校長のところへ持つてくるなどのことがあつたのをこころよく思つていなかつたし、ことに申請人については、自分の出身校の後輩でもあり、好意をもつて本校に迎えてやつたのにかかわらず、かえつて大久保教諭らと一しよになつて若い教職員の中心になり、校長にたてつくような態度をみせるので、幾分腹にすえかねていた。たまたま昭和三三年三月五日の卒業式の日に、大久保、伊藤その他二名の教諭らが卒業生とビールを飲みかわした事件が発生した(この事実は、前述のとおり当事者間に争いがない。)ところ、校長は大久保、伊藤の両教諭には反省のあとがなく、申請人は同人らの行動を校長に対して陳弁弁護したのみならず、申請人については被申請人が本訴で主張するような解雇理由に該当する事由があるとして、大久保、伊藤両教諭とともに申請人を解雇すべき旨、被申請人の代表者である理事長石山静雄に上申した。理事長はその後数回にわたつて常任理事会を開き、右三名の解雇問題につき協議したが、大久保、伊藤両教諭の解雇については特に異論もなく、申請人についても校長の上申した解雇理由につき、校長の報告のみにもとずいて検討した結果、そのような事実があるならば、解雇もやむを得ないとの結論に達した。そこで同年三月三一日、理事長は呼び出しに応じて出頭した大久保教諭、申請人(伊藤教諭も当日呼び出しを受けたが出頭しなかつた。)に対し、「校風に合わないから来る四月三〇日かぎり解雇したいが、将来の就職のこともあるから同月三日までに辞表を出すなら依願退職として取扱う。」旨申し渡した。その際校長から、大久保教諭に対しては、くわしい理由説明があつたが、申請人に対しては、あまりくわしい理由の説明がなかつた。そうして四月三日までに大久保、伊藤両教諭からは辞表が出されたが申請人一人これに応じなかつたので、結局同年四月三〇日附で解雇の辞令が申請人に対して発せられるに至つたのである。
以上の事実が認められる。前顕証人武見五作の証言および申請人本人尋問の結果中この認定に牴触する部分は採用しない。
この認定事実と、前に判示したとおり申請人の解雇理由に関する被申請人の主張が首肯しがたいことを考え合わせると、被申請人が申請人に対してした解雇の意思表示は、校長が自らの意に満たない申請人を理由をかまえて本校から追出そうとする意図に乗ぜられたものとみるのが相当であり、解雇権を濫用するものであつて、無効であるといわなければならない。
四、そうだとすると、申請人は引きつづき被申請人の設置する本校の教諭たる地位をもつていることが疎明されたことになる。
申請人が右解雇の意思表示を受けた当時、被申請人から毎月二一日に二万二千円の給料の支払を受けていたこと、および被申請人が同年五月一日以降申請人に対して就労を拒み、給料の支払をしなくなつたことは、当事者間に争いがないので、申請人は昭和三三年五月一日以降も引きつづき被申請人から右と同額の給料の支払を受けるべき権利があるものと認めるべきである。
五、申請人本人尋問(昭和三四年三月一二日尋問分)の結果によると、申請人は本件口頭弁論の終結された昭和三四年三月一二日当時において、妻と子供一人の三人暮しで、やがて次子が生れることになつていたが、負債が約二十五、六万円あつて、その一部についてのみ月賦で弁済中であることが認められるところ、妻に毎月二万一千円の収入があることは申請人の自認するところではあるけれども、右に認定したような状況からすると、申請人が本校から給料の支払を受けられないと、生活を維持して行くのが困難であることは、明らかである。また前記甲第一号証の一によると、「ひばり会」は、被申請人の設置する学校の教職員をもつて組織することになつていることが認められるので、申請人が解雇を理由に被申請人から本校の教諭として取扱われないと、「ひばり会」の役員または会員としての活動に支障を生ずることが明らかである。
してみると、申請人が仮処分によつて、本校の教諭たる地位にあることを仮に定めるとともに、あわせて未払給料を仮に支払うことを求める必要性は、疎明されたものといわざるを得ない。
六、よつて、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 石田穰一 半谷恭一)